図書館法第2条

(定義)
第二条  この法律において「図書館」とは、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設で、地方公共団体日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人が設置するもの(学校に附属する図書館又は図書室を除く。)をいう。
2  前項の図書館のうち、地方公共団体の設置する図書館を公立図書館といい、日本赤十字社又は一般社団法人若しくは一般財団法人の設置する図書館を私立図書館という。

 図書館の定義が第2条ですが、ここでは、学校図書館大学図書館、議会図書館などは含まれていません。これらは、それぞれ別の法規によります。また、国立国会図書館については、国立国会図書館法という法律があります。

 雑誌や新聞やCDが含まれていないなどと考える必要はありません。これらは、資料という概念に一括されています。「記録」というものが若干、面倒ですが、これは、文書館ともダブる部分が相当あります。

 公文書館法では、次のように規定しています。

(定義)
第二条  この法律において「公文書等」とは、国又は地方公共団体が保管する公文書その他の記録(現用のものを除く。)をいう。

 これからすると、図書館の方の記録とは、現用のもので、なおかつ、原則、公開するものということになってくると思います。

 なお、公文書館法ですが、歴史関係者の間では、史料館や文書館設置の運動や制度化の要望もあり、それも踏まえると、私文書も含めて、文書・史料・記録を保存する文書館・史料館が必要になってくると思います。博物館とも関係が出てくるところです。

 いずれにしろ、いわゆる図書館のメイン・ターゲットは今使う資料ということです。これは重要です。図書館の資料費は毎年毎年たくさん必要なのもこのためです。

図書館法第1条

(この法律の目的)
第一条  この法律は、社会教育法 (昭和二十四年法律第二百七号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。

 第1条から第9条までが第1章 総則です。

 社会教育法の精神に基づくと明記されています。

 ところで、社会教育法を見ると、

(この法律の目的)
第一条  この法律は、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。

(社会教育の定義)
第二条  この法律で「社会教育」とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーションの活動を含む。)をいう。

となっています。

 さかのぼって、教育基本法を見ると、

(教育の目的)
第一条  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

(教育の目標)
第二条  教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一  幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二  個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三  正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四  生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五  伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

となっています。

 とくに、第2条が問題ですね。教育基本法が「改定」されたことはご存知かと思いますが、この国と郷土を愛するというのが、いわゆる「愛国心」という言葉を避けて出てきた表現です。

 教育の「目的」と「目標」と何が違うんだという疑問が当然あるかと思いますが、ここでは、目的を達成するために目標があるという位置づけになっていますので、目標は目的をさらにブレイク・ダウンしたものということになるでしょう。しかし、だからと言って、この目標を達成しないと目的は達成できないというものでもありません。そこは重要かと思います。あくまで、目的は「人格の完成」です。これは意外なほど重要な意味を持っています。

 そもそも、国民を人格的存在として扱わなければ、その完成はありえないわけですので、国民は単なる国の構成要素ではありません。そういう中での「国と郷土を愛する」ですから、その意味が限定されるのは当然でしょう。少なくとも、国民ひとりひとりの人格に国や郷土が先立つわけではありません。また、単なるお国自慢でもありません。

 教育という言葉は、全人格に関わるということは押さえておいてください。そうすると、国民の教育の発展に寄与する図書館とは、国民ひとりひとり、住民ひとりひとりの一生のあり方に関わるのだということです。全人格ということは、その人の教養や趣味だけでなく、日常の実用知識、仕事上の専門知識、あるいは、もっと人類的な課題、皆関わるというわけです。だから、図書館は幅広く資料を収集することが求められるわけです。

 文化の発展に寄与するということはどういうことでしょう? 「文化」という言葉ほど多義的・曖昧に使われるものはありません。

 日本国憲法を見てみましょう。

第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 つまり、文化というのは「おまけ」ではありません。「最低限度の生活」においても、なお保障されるべき「権利」なのです。それは健康とセットにされていますが、ただ、健康なだけでは、最低限度の生活と認めていないわけです。ただ健康なだけでは、運のいい動物と同じかもしれません。人間である限り、最低限度、保障されるべき文化的生活というものがあるということです。

 図書館は決して飾り物ではありません。この最低限度の文化的生活という権利を保障するものです。そして、それは当然のこととして、さらに発展させていくことに寄与せよということです。

 図書館がなくても、最低限度の文化的生活は送れるのではないかという人もいるかもしれませんね。しかし、文字というものは、文化的生活の最低水準ですよね。それを書き表したものが本です。少しだけの本を通信販売か何かで買うだけという地域が、本当に最低限度の文化的生活が保障されていると思いますか? 本屋も図書館もない地域の人が、そんなに本を読もうとしようとすると思いますか? 本屋も図書館もなければ、通信販売で本を買う人もまれでしょう。こういうところにこそ図書館が必要なのです。それが日本国憲法や諸法令を実現する法治国家の行政というものです。そうでなければ、放置国家の痴呆自治体というブラック・ジョークを言われても仕方がありません。

 図書館は義務設置ではありませんが、国・都道府県・区市町村それぞれが、設置とサービスの展開・向上に努力すべき存在なのです。

図書館法の解説始めます

 さて、日本の公共図書館のあり方を規定しているのは、図書館法です。短い法律で、ややこしい法文もないエレガントな法律です。最も基本的なこととも言えますので、これから、図書館法の解説をしていきます。
 まず、図書館法の位置づけですが、教育基本法というのが、いわば日本国憲法とセットのようにしてありますが、その下位法に社会教育法があります。さらに、その下位法に図書館法があります。下位法と言うと、何か「下」というイメージが強いかもしれませんが、これはそういうことより、法律として別立てになっていると考えていただいた方がいいです。それだけ重要だから別立てになっているわけです。
 ちなみに、図書館法は地方自治法の下位法ではありません。個別法である図書館法の規定が一般法である地方自治法より優先します。具体的には、無料の原則などが最たるものかもしれません。

 まず、日本国憲法では次のような規定があります。

第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 この法律が教育基本法だったり、その他の法律だったりします。別な読み方をすると、ひとしく教育を受ける権利は法律で定めて実現するよということです。図書館法もこういうひとしく教育をうける権利を実現するための法律です。障害の有無や地域によって、教育を受ける権利が制限されてはいけません。

 教育基本法では次のように述べています。

第十二条  個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
2  国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館その他の社会教育施設の設置、学校の施設の利用、学習の機会及び情報の提供その他の適当な方法によって社会教育の振興に努めなければならない。

 また、教育基本法前文では、次のようにこの法律が日本国憲法の精神を達成するためのものであることが書かれています。これは絶対、忘れてはなりません。

「ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」

 そうして、社会教育法はこう書きます。

第1条 この法律は、教育基本法(平成18年法律第120号)の精神に則り、社会教育に関する国及び地方公共団体の任務を明らかにすることを目的とする。

 図書館については、こうなっています。

第9条 図育館及び博物館は、社会教育のための機関とする。
2 図書館及び博物館に関し必要な事項は、別に法律をもつて定める。

 図書館は社会教育のための機関ですが、シンプルに教育機関でもあります。

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律では次のように定めています。

第30条 地方公共団体は、法律で定めるところにより、学校、図書館、博物館、公民館その他の教育機関を設置するほか、条例で、教育に関する専門的、技術的事項の研究又は教育関係職員の研修、保健若しくは福利厚生に関する施設その他の必要な教育機関を設置することができる。

 まあ、こんなところが基礎中の基礎知識です。

無文字社会の図書館とは(その2):音楽の重要性

 無文字社会の図書館を語る上で、音楽は抜きにできません。たくさんの文章を皆さん覚えられますか? 俳優の才能がある人は別として、難しいでしょう。
 ところが、歌なら覚えているものがいくつもあるはずです。歌で覚えている歌詞を音楽なしで棒読みして覚えられますか? 無理でしょう。
 無文字社会の長老の記憶は歌になっています。だから、叙事詩とか、長歌というものが存在します。

 たとえば、ホメーロスオデュッセイアーや、ギルガメシュ叙事詩などです。これらは文字にもなっていますが、もともと、文字でなく語り伝えられていた(歌いつがれていた)ものでしょう。

 わらべうたなども同様です。

 それから、大昔の図書館は実は騒々しいところだったかもしれません。昔は黙読というより音読、いや朗誦が基本だったのです。それは、文字が読める人が限られていたからという事情もあると思います。子どもだけではなく、大人にも読み聞かせ(謳い聞かせ)ていたわけです。源氏物語にしたって、語り聞かせるスタイルですよね。そういえば、平家物語はそれこそ琵琶の弾き語りですね。

 そういう意味で、本当は音響資料は図書館資料のつけたしではありません。もともと言葉というものは、一種の音楽なのです。

無文字社会の図書館とは?

 図書館学の5法則の説明の中で、無文字社会や赤ちゃんのように字が読めない人は図書館サービスの対象となるのかという話をしました。

 まず、無文字社会の問題を考えましょう。

 唐突ですが、無文字社会には図書館は存在しないのでしょうか?

 これは、深い意味で、図書館とは何かという問題と関連します。

 もし、人間が文字などに書き付けなくても、ほとんどすべての事を記憶しておけるなら、文字も、その文字の記録の集積である図書館も必要ないでしょう。

 無文字社会というのは、ある意味、文字をほとんど必要としない社会ということになります。

 こういう社会では、村の長老やシャーマンみたいな人が膨大な記憶を持っています。わからないことがあったり、問題解決が必要になったら、村人はこの人に聞きます。

 要するに、無文字社会においては、長老やシャーマンが「人間図書館」なのです。

 文字というものは、こういう人たちがさすがに全部頭に入れきれなくなったときから始まります。そして、図書館とは、そうやって文字を書き付けたものも多くなり、一定の秩序で整理しないと、どうにもわけがわからなくなってきたあたりからできてきます。

 そういう過程があったから、文字や知識は権力と結びついていたのです。

 実際に文字がつくられてからもはるかに長い時代、文字などわからない人間が圧倒的でした。だから、文字がわかったり、ましてや、書物を読む人間など神々に近い存在だったでしょう。

 ところで、長老やシャーマンは、記憶や知識を村人に語りを通じて提供したと思います。

 赤ちゃんは極端としても、小さな子どもは文字がわかりません。しかし、親が読み聞かせたりすると、喜んで聴きます。こういうところには、人類社会のプロトタイプがいまだに生き残っているわけです。

 そういう意味で、図書館で行われる読み聞かせとかストーリー・テリングというものは、図書館の単なる行事というよりも、図書館そのものの原型なわけです。この認識が重要だと思います。

図書館学の5法則のまとめ

 図書館学の5法則とは、図書館学における、公理・公準のようなものです。
 つまり、これらは自明なもの(証明不要)として出発しないと、先に進めないということです。
 5法則のとおりでない可能性もあるかもしれません。しかし、それを認めてしまうと図書館は成り立ちません。それは、もはや図書館学ではありません。
 たとえば、美術史の観点から、ウィリアム・モリスの本を見たりすれば、必ずしも第一法則は成り立たないかもしれません。しかし、図書館では、それでは困るのです。
 図書館そのものも、この5法則の上に立って定義されなければなりません。

図書館は進化する

 さて、図書館はある種の生命体だとすると、進化するかもしれないということです。実際、古代の図書館は粘土板を扱っていて、何でもえらくかさばるものばかりだったわけですが、それが巻物になり、もっと便利な冊子本になったわけです。電子メディアが入ってくるのも歴史の当然の帰結です。

 また、成長するということは、もっと卑近な例で、3つの時に着ていた服は5つの時には着れないし、5つの時に着ていた服は7つの時には着れないということです。そして、図書館もこの七五三を経れば、安定成長軌道に乗ると思われます。

 一番はっきりわかりやすいのが本の収容能力です。いずれ図書館は必ず書庫を増設しなければならないという前提で考えるべきです。また、当初のとおりのレイアウトや部屋割りでいつまでも使うことはまずありえないということです。こういうフレキシビリティが図書館建築には求められます。

 一方で、人的組織の方も同様です。スタートしたときと同じ編成でやっていたのでは、時代に対応できません。

 そして何よりも重要なのは、仕事のやり方そのものです。これを環境の変化に適応して変えて行き、常に効率の良いものにしていないと絶滅します。